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2008年02月26日

二・二六事件

あまりにも有名な事件ですよね。
当時の人も衝撃だったでしょう。

1936年(昭和11年)2月26日-29日に、日本において、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こした未曾有のクーデター未遂事件である。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。

襲撃決意の背景
革命的な国家社会主義者北一輝が記した『日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想の下、天皇を手中に収め、邪魔者を殺し皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次らを中心とする、皇道派の影響を受けた青年将校の一部は、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況等の現状を打破する必要性を声高に叫んでいた。

これを危険視した陸軍中枢が、陸軍士官学校事件において磯部と村中を免官したことも、彼等の中で上官に対する不信感を生んだ。陸軍中枢では「危険思想がある」と判断して、長期に渡り憲兵に青年将校の動向を監視させていた。皇道派と統制派との反目は度を深め、統制派の領袖であった永田鉄山陸軍省軍務局長を1935年(昭和10年)8月12日白昼に相沢三郎中佐が斬殺する事件まで引き起こされた(相沢事件)。

1932年(昭和7年)に起きた、五・一五事件で犬養毅総理を殺害した海軍青年将校らが禁錮15年以下の刑しか受けなかったことも、一部の青年将校に影響を与えたとも言われる。但し、五・一五事件は古賀清志海軍中尉らの独断による行動であって、将校としての地位を利用して天皇から預かった兵卒を動員して事件を起こしたわけではない。

資金源は三井財閥がこのような時のため、危険防止に用意した金で、民間人である渋川善助や水上源一がこれを受け取り北ルートで安藤らに渡していた。このため三井は襲撃の対象とされなかったと言われている。

青年将校らは主に東京衛戍の歩兵第1連隊、近衛歩兵第1連隊及び歩兵第3連隊に属していたが、第1師団の満州への派遣が内定したことから、彼らはこれを「昭和維新」を妨げる意向と受け取り、第1師団が渡満する前に、決起することとなった。そして、一部青年将校らは、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起することを決定した。なお慎重論もあり、山口一太郎大尉や、民間人である北と西田税(北の弟子であり、国家社会主義思想家)は時期尚早であると主張したが、強硬論が勝った。

決起書は野中名義になっているが、野中がしたためた文章を北が大幅に修正したといわれている。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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